自己中本斬り。(仮再び) -7ページ目

西の魔女が死んだ/梨木香歩



著者: 梨木 香歩
タイトル: 西の魔女が死んだ

大人向けの童話という感じです。
この作品は決して完成度が高いとはいえないと思います。申し訳程度に付け加えられた文章が多く、必ず伏線となっていくだろう所が、そこ一回きりしか出てこない。予定調和でない、と誉める事もできますが、やはり無駄な文章、挿入が多い。だから読後、「あれは何だったんだ?」と気持ち悪くなってしまします。

でも、エピソードとしてはかなり良いものだと思います。読んでいると、忘れてしまったものを、懐かしさを伴って、ではなく、現実の中からとりだすことができる。
トラックバック元(この本の素晴らしさはここを読んでもらえばよくわかりますw)の「大人にこそ、読んでもらいたい」というのには大賛成ですね。だからこそ勿体無い、と思ってしまうわけです。

あたしは一度図書館で読んでから、もう一度読みたい本を買うようにしてるんですが、そういうわけであいにく本棚行きとはなりませんでした。

人体模型の夜/中島らも



著者: 中島 らも
タイトル: 人体模型の夜

少年がいつも遊んでいた古い屋敷。そこがとりこわされる前日の夕暮時、少年は最後に、と屋敷の奥へと入っていく。
偶然に見つけた隠し階段。地下室へのいりぐち。
そこにあったのは…。

美しく、残酷で、何かに嘲笑われているようで、でもひたすらに哀しい。
最後のシーンを読むと、世界にひとり取り残されたような心地がします。
気持ち悪さ、怖さより何より、それこそ怖いくらいの美しさが際立っています。
珍しく手放しのお勧め作品。

ちなみに、オビの文句。
「こんなに きれい。こんなに こわい。
 愛しい身体のひとつひとつが 恐怖の器官(パーツ)に変わりはじめる…。
 読みだしたらやめられない戦慄小説」
読むしかないでしょ、これ。

赤本



著者: 教学社編集部
タイトル: 赤本38 東京大学(理科-前期)

こんなものも取り上げてみます。
ちなみに画像が東京大学なのは、受験校をアップするのがためらわれるため。悪しからず。

とりあえず過去問題です。国立大は5年分、東大京大あたりは10年分ほどのやつがあるみたいですね。圏外ですから知りませんけどね。
ただ延々と過去問題と解答・解説が載っているだけなのですが、その赤本に苦情を言います。受験生の愚痴です。しかも細かい。ではどうぞ。

センター試験問題の赤本は、解答・解説がひとまとめで別冊になっていてとても見やすいのに、大学別の赤本は年度順に問題→解答・解説→問題→解答・解説・・・の繰り返し。問題と見比べて見直しができない。バイトの製作した解答にはそんなに自信がないのか!・・・そっか、ないのか。じゃあしょうがないね。

以上でした。でもね、いくら信用できない解答でもね、少しは頼りにしてるんですよ。いちいち塾の講師に聞きにいくわけにいかないんですよ。この微妙な苛立ちを感じてるのはあたしだけじゃない筈・・・。未来の受験生のため、教学社にご意見メールを送ろうかと思っている次第であります。

ちなみに今、教学社のHPに行ってみたら、
 『解説が丁寧でわかりやすい「センターの赤本」』
という見出しでピックアップがありました。ふ~ん・・・。

再会の幸せ



思いがけないところで好きな作家の文章に出会うと、とっても嬉しくなります。
それが再会なら、なおさら・・・

一昨日の現国の問題演習。今回は小説。
読みはじめる。3行、4行、5行。・・・ん?
これはもしかして、川上弘美じゃないですか??

ふと右側に目を遣ると、タイトル:婆 作者:川上弘美。あらま。

ほくほく気分で文章を読み進めます。タイトルは覚えていたものの、内容が思い出せない。何しろ川上弘美の著作を一気読みしていた頃に読んだものですから・・・言い訳になってない?
問題文の最後の方、台所の穴をみつけて周りをぐるぐる回るシーンでおぼろげに思い出しました。(ちなみに今調べたら、「物語が、始まる」に収録されているそうな。もう一回読みたいな。)

こんなふうに、心なしかうきうき弾んだ文体で書いてしまうほど嬉しかったんですね。

しかし、しかし。
これを題材にした問題を解くというのは考えもの。
例えば問四。『傍線部(3)について、なぜそう「思った」のか、その理由として最も適当なものを、次の中から一つ選び、記号で答えなさい。』
選択肢は4つあるんですけど。
その中には、問題文中に書いてあるようなことしかないじゃないですか。そう思った理由は、この問題文にかかれてない部分にもっと他のものがあるかもしれないじゃないですか。
なぜに大好きな文章を、こんな近代的な理屈で、方法で分析せねばならぬのでしょう…。しかも川上さんですよ。「うそばなし」をかいているんですよ。「うそばなし」をあけっぴろげて読み解いちゃってどうするんでしょう。あたしは悲しいです。ものすごく悲しい。問題解きたくなかったです。しかし、解かねばならぬ。でも大学入試に川上弘美はありえないだろ。吉本ばななや村上龍、村上春樹が限度でしょう。
そんな考えが頭の中をうずまいていました。ああ、解かなければよかった。次から楽しくこの作品が読めないじゃないですか。忘れろ、あたし。忘れろ、あたし。

ええと・・・ついつい熱くなってしまいました。たまにはこんなのもあり、ということで。

ノルウェイの森/村上春樹



著者: 村上 春樹
タイトル: ノルウェイの森〈下〉

ひとつ前で村上さんをネトネトと評してましたが、やはり好きなんですね。ダ・ヴィンチ誌(またこのネタ)で、「読んでいると頭に音楽が流れてくる本ランキング」みたいなのがあって、その1位に選ばれていました。記憶が確かなら、これが始めての村上春樹作品だったと思います。

枕もとにコーヒーをおいて、ランプ(…がいいけどほんとはスタンドライト)をつけて、BGMには勿論ビートルズの「ノルウェイの森」を。
哀しいんだけれど、涙が出るのではなく、もっと静かな、冷たい森の中にいるような哀しさが漂う作品だったと思います。
時間ができたらもう一度読み直してみたいです。
それにしても金色のオビはどうかと思うんだけどね。

海辺のカフカ/村上春樹


著者: 村上 春樹
タイトル: 海辺のカフカ〈下〉

読後、多くの疑問が残ります。「何故?」「何故?」
でもここで、何故、を追求してはいけないのだと思います。これはカフカ少年にとっての真実なのだから、理由などないのです、きっと。
以前ダ・ヴィンチ誌の小説講座の記事で、新人賞に送られてくる作品の傾向を、とある編集者がこのように語っていました。

「(送られてくる作品は)男性だと、村上春樹さん的な、浮遊感のあるボク、この世界に違和感のあるボク、世間に受け入れられないボクが主人公、というのが圧倒的に多い。」
「一見、本人を投影している主人公は、自己否定しているように見えるし、当の本人も否定してるつもりなんだけど、結局は“社会に馴染めない特別な自分”を肯定しちゃってるんですよね。」
「自分がダメ人間という認識はあるんだけど、根本的には自分のことが大好きで肯定しているから、…」

あたしはこの発言に大いに共感しました。
主人公のカフカ少年はアクシデントに見舞われながらも、どうにかしていく自分を頭のどこかでわかっている。
次々と語られていく少年の主張はところどころ「社会に受け入れられない」性質を持っているものの、それを肯定し、それどころか賞賛してくれる人―たとえば大島さん―が随所に居る。
一見、社会から逃げ出した、或いは勇敢に旅立ったともとらえられますが、この少年はしっかりと自分の考えをもっていて、主張でき、きっとどこに行ってもうまくやっていける。

要するに、あたしはカフカ少年に嫉妬している、否、腹が立っているわけです。これだけ周りにお膳立てしてもらえる家出少年は、まずいない。

そしてその嫉妬は、村上春樹さんへの嫉妬へとつながっていくのです。
小説もエッセイもいくつか読んだのですが、「ああそう、大変ね、すごいのね」と時々嫌になってしまう。そしてそんな自分も時々嫌になってしまう。

村上春樹ファンはどんな気持ちで作品を読んでいるんでしょう。主人公に重ね合わせ、そのままのダメな自分、社会的不適合者的な部分を持った自分を肯定されているようで気分がいいんでしょうか。

とりあえず言える事は、間違っても読後のすっきり感を求めてはいけないということ。ボクは、ボクは…という内省的な小説が苦手な方は、上巻の半ばで挫折すること間違いなし。


と、酷評していますが村上さんの作品は好きです。あの鬱々とした、とらえどころのない雰囲気、大好き。
ああ、あまのじゃくなあたし。

世界の中心で、愛を叫ぶ/片山恭一


著者: 片山 恭一
タイトル: 世界の中心で、愛をさけぶ

ようやく読みました。世間の熱が冷めて、やっと読む気になったのです。
とても良い作品だと思いましたし、これから何度も読みたいと思いました。
でも、「純愛」だとか「泣けた!」という表現には疑問を感じます。
純愛ブームだと騒がれていますが、あたしはこの作品の「純愛」という部分ではなく、ほかの部分に泣きました。

うまく言葉にはできないのですが。
ほんとうに大切なものを、自分から失おうとしていた自分に気付いて。
とてもとても、切なく愛しくなって。
いてもたってもいられなくなり、恋人に電話をかけてしまいました。

この感情を、またはこれを呼び覚ますものを純愛と呼ぶならば、純愛に注目が集まっているのは認めます。
しかし、冬ソナをはじめとする「純愛ブーム」を読み解くキーワードは、「セックスのない恋愛を描いた物語」。
こんなあられもない表現と、この作品はあまりにもギャップがありすぎます。
肉体の交流があるか否か、ではなくて、もっと大切なことに皆は泣いているんじゃなかろうか?と思ってしまいます。

この類の作品が必要とされていることは事実。
それは、読後に感覚として知りました。
「純愛ブーム」によって、多くの人がこの作品を呼んだのも事実。
そして大切な感情にめぐりあった。

それでも、どうしても腑に落ちないのです・・・。
と、嘆くことばかりですね、昨今は。
唯一の救いは、周りがどれだけ騒ぎ立てようとも、文章の内容は変えられないこと。
読者は賢いものです。
ムーヴメントをきっかけとして、自分の糧となるものを得ているのですね。

心がけ

1時間ほど、本・書評ジャンルの上位ブログを回っていました。
やはり人気ブログは、違いますね。
文体といい、言葉の選び方といい、テーマといい。

「自己中本斬り」という物凄く自己中心的なタイトルなんですが、
自分の感性を大事にするのと、ひとにどう見えるのか考えるのは別のこと。
読み手を意識した文章を心がけていこうと思いました。


まだまだ模索中なので、毎日書きかたや雰囲気が変わっていくだろうと思いますが、
どうか温かく見守ってやってください。
それでは。これからもがんばります。

電車男/中野 独人


著者: 中野 独人
タイトル: 電車男

web上で読みました。
本が出るだいぶ前に、お友達に「面白いよ~」とURLを教えてもらいました。でもあまりに長くて途中でやめてしまい、月日が流れ・・・
いつのまにか超話題になってるじゃないですか。これじゃあ雑誌の特集も読めないわ、ということで改めて目を通してみる。
一度も休憩を入れることなく最後まで読みきると、涙が溢れました。
これ自体、「ネタじゃないのか?」って正直、思います。
でも事実は小説より奇なりとはよくいったもので、私たちが「小説」に望む要素が全部入っているんですよね、これには。
「おまいら、外に出てみろ!」
この一言で始まった長い長いほんとの物語。
本ばかりに逃げていないで、外に出てみよう。怖がらないで、人と接してみよう。
そう思わされました。

失はれる物語/乙一


著者: 乙一
タイトル: 失はれる物語

一篇目の文章、ものすごく嫌いで、
ああこういう文章を書く人なんだなぁ、と思い、読み終わるまでに放ってしまいました。
でも次の日続きを読み、次の短編に入ると、これがまた、がらっと違う。あたしの好きな雰囲気。
一篇目は故意だったんだなとわかりました。
ただ、「失はれる物語」というタイトルが話題だったので頑張って読む気になり、結果良かったのですが、
あれを一番目にもってこられると、手に取ってぱらっと読んで、戻してしまいそうだなぁ。
話題性のある本のなせる業ですね。
つづきを読んだら、また書きます。