本のカバーを外すという行為 | 自己中本斬り。(仮再び)

本のカバーを外すという行為

片道1時間半の通学の殆どはJRと地下鉄に乗っているのだけれど、図書館で借りた本以外でカバーをつけずに読んでいる人は、めったに見ない。

逆に、某国立大学に通っていると思われる学生が、洋書を難しい顔で読んでいたりする。

そうじゃないという人も多くいるのを加味しても、そこに恥と見栄が垣間見えるのは間違いないのです。たぶん。


以前、伊集院静の「乳房」を図書館で借りて、通学中(もちろん満員の電車)で読んでいたら、前に座っている若い女の子2人+男の子がこっちをちらちら伺いつつこそこそ・・・。そりゃ朝っぱらから堂々と「乳房」!なんて見せられたら動揺します誰でも。


読んでいる本を知られるということは、その時考えていることが知られてしまうということ。高校時代から「何読んでるの?」と訊かれることは数え切れないくらいあったけれど、きかれるたびにドキっとしてしまう。

「乳房」を見せられたあの3人は、さぞかしあたしを変な人だと思った事でしょう。


人がたくさんいる所で、自分の内面を垂れ流しにするのは、よくない。だからカバーをつけたまま読む。

けれどたまには外してみても、面白い。

それは赤の他人との奇妙な、意外性を持った交流であり、誰にも咎められない羞恥プレイだ。