博士の愛した数式/小川洋子 | 自己中本斬り。(仮再び)

博士の愛した数式/小川洋子


著者: 小川 洋子
タイトル: 博士の愛した数式

またまた入試でした。これで私立は終了。とりあえず一息です。

さて、本日もメッセージに頂いた作品を取り上げてみます。といっても、第一回本屋大賞に選ばれて超話題になった本なので、個人的なことを連ねてみます。
実はこの本があたしと小川洋子さんの作品との、初めての出会い。
思い入れが深すぎて、何をかいたらいいかわからないんですね...
だから今日は、いつもよりさらにとりとめがないですが、どうぞよろしく。

図書館の新刊コーナーにあった本。やさしいカラーの表紙、タイトルは「博士の愛した数式」。それまでこの人の名前もきいたことがなく、後に本屋大賞で話題をさらうなんて思ってもみなかったんですね。
でもその時、あたしの中に蓄積されたものが、無意識にこの本を手にとらせたのは確かだと思うんです。

ひとつは、祖父が数学の教師であったこと。今でも自宅で数学を教え、一日中部屋にこもって数学をやっているひとです。
もうひとつは、中学校時代に数学の先生が好きだったこと。見てほしくて、ほめてもらいたくて、自主勉強ノートなるものを毎日渡しに行って。おかげでいつもほぼ満点でした(笑)

高校に入ってからは数学に対しての意欲が半減(先生の影響は偉大だったなぁ)、それでもこの本を手に取ってしまったのは、やはり数学という単語が特別なものだったからなのか、ただの偶然なのか・・・。

感想は、なんともいえません。せつなくて、せつなくて、胸の痛みと涙が止まりませんでした。
今思えば、妙に自分とシンクロさせてた部分が大きかったのかもしれませんね。
あとは、なにもいえません。もう少し大人になってから、もう一度読みたいです。
この作品との出会いがあたしに与えたものはあまりに深く、大きすぎて。これ以上は語れないようです。


さて、少しいつもの調子を取り戻して、小川洋子という作家について。
彼女は「当たり外れが大きい」作家だと思います。覚えている限りでとくに傑作だと思ったのは、今日とりあげた「博士の愛した数式」、「密やかな結晶」「ブラフマンの埋葬」、あとは「妊娠カレンダー」でしょうか。
フランス文学だったかの翻訳(耽美小説だったかしら)をしていることも影響してか、とっても緻密な文章を書く人ですね。で、「はずれ」の作品だとそれが物凄く目立って、読みづらい。「あたり」だと、気にならない。それが大きな違いのひとつでしょうか。

ただ、「はずれ」作品だと思うようなものでも、彼女独特の魅力はあるんですね。それをどうしてはずれだと言ってしまうのかというと、「ネタが似ている、同じ」だから。それゆえ作品の区別がつかなくなることがよくあります。ストーリーが連鎖していることもよくありますから、一概には言えないんですが。

「ストーリー」を楽しむのではなく、彼女の世界・・・失われたもの、失われていくもの、この世界のどこかでひっそりと息づいているもの、それを扱い、保存し、時には廃棄する、ひっそりと行われている仕事をしているひとたちのこと・・・ある意味異世界というか、深い森の中に迷い込んでしまったような、そんな空気を味わうことを前提に読むならば、どれを読んでもはずれはないと思います。

どうしようもなく鬱々としてしまうとき、いいようのない欠落感が広がっていきそうなとき、彼女の作品を読んで別世界に行ってみるのはどうでしょうか。読み終えても鬱々としているかもしれないけれど、いつもとまったく違うものが目にとまり、大切に思える・・・かも。

追記。
ただ、これを読んだあとに、悲しく、せつなく、あたたかい感じを期待して他の小川洋子作品を読むと、胸が痛すぎるかもしれません。それまで彼女は、失われていくものばかりを書いてきたから。
まあそれが好きになる人もいるんですけどね、ここに。どんな本でも、要は出会い方次第なんですよね、ほんとに。