お久しぶりです。
わ、すごい。3月ぶりなんだ。
3月にくらべると、もうなんだかとっても色々と変化した小文字です。どうも。
けっこう毒が抜けたかもしんない。
気張って生きなくても、自然に笑っていたほうがいいってことをようやく実感。
このブログもやめようと思ったんだけど、今の状態で書いたらどうなるんだろうって思って、しばらく続けてみることにしました。
誰かまた遊びに来てくれるかな?
では、また明日。
本のカバーを外すという行為
片道1時間半の通学の殆どはJRと地下鉄に乗っているのだけれど、図書館で借りた本以外でカバーをつけずに読んでいる人は、めったに見ない。
逆に、某国立大学に通っていると思われる学生が、洋書を難しい顔で読んでいたりする。
そうじゃないという人も多くいるのを加味しても、そこに恥と見栄が垣間見えるのは間違いないのです。たぶん。
以前、伊集院静の「乳房」を図書館で借りて、通学中(もちろん満員の電車)で読んでいたら、前に座っている若い女の子2人+男の子がこっちをちらちら伺いつつこそこそ・・・。そりゃ朝っぱらから堂々と「乳房」!なんて見せられたら動揺します誰でも。
読んでいる本を知られるということは、その時考えていることが知られてしまうということ。高校時代から「何読んでるの?」と訊かれることは数え切れないくらいあったけれど、きかれるたびにドキっとしてしまう。
「乳房」を見せられたあの3人は、さぞかしあたしを変な人だと思った事でしょう。
人がたくさんいる所で、自分の内面を垂れ流しにするのは、よくない。だからカバーをつけたまま読む。
けれどたまには外してみても、面白い。
それは赤の他人との奇妙な、意外性を持った交流であり、誰にも咎められない羞恥プレイだ。
「美人」へのレッスン 斉藤薫
通学に使う駅にオープンしたコンビニで100円で売ってたので思わず購入(笑)
斉藤薫の本を一度読んでみたかったんですよね。
この人は偉そうだし自己主張も強いけど、言っているのはすべて現実的なこと、「そういうことよくある!」と思ってしまうこと。そこでいかに美しくなるか、という手段も考え方も、現実的だ。
そんなに変わったことを言ってるわけじゃないし、大人の女性なら何も言わずともわかっていることかもしれない。
この人自身はこの本で述べられている「美人」ではない。もしそうならこんなこんな文章は書かない。
でもこういうことを主張する人がいてこそ、世の女性たちは向上していくんだと思う。
人が、女性が向上するには、こうなりたいという像や、尊敬する誰かが必要。斉藤薫は、「こうなりたい」という像へのヒントを示してくれる。
LOVERS
ずっと前から気になっていたもの。
川上弘美と江國香織が読みたくて駅の本屋で購入。
(一緒に「薬指の標本」の文庫版も購入。素敵なカバーの文庫本しか買わないことにしているのだけれど、これはとっても素敵。フランスで映画化されるみたい。映画化の情報が描いてあるオビもまた良いのです。)
心にいい感じのさざ波をおくってくれる本でした。今のあたしにとってはハズレなし、かな。
アンソロジーだと内容のバランスがどこかしら気になるところなんだけれど、これはなかなか良かった。作家の順番も王道で読みやすかったし。
しかしながらシリーズの「FRIENS」は読んでみて良くないと買わないだろうなぁ。
LOVERS、という響きのよさに負けてるしなぁ。
マリールー、夏/堀内 貴和
図書館の廃棄処分の本。
こら処分になるわな。
全てのかぎかっこの後に“と言った。”がついてるんですよ
そこをなるべく見ないようにして読みました
苛々するから
話自体はつまらなくないと思うんですが
最低限の文章能力に基づいた文を出版して欲しいですね
あれでお金とっちゃいかんと思いました